ひとこと言いたい!
〜管理人が 親鸞学徒の立場で 混迷する世の中に ひとこと物申すコーナーです〜
【2007/01/10 更新】
年が明けて、世の中、「おめでとう おめでとう」の連呼ですが、ひとこと言いたい!
「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 (一休)
とんちで有名な、禅僧一休の歌です。
人生は、冥土への旅であり、正月に立てる門松は、冥土へ大きく近づいたことを知らせる、一里塚である、と詠っています。
現在、阿弥陀仏に救い摂られた人は、いつ死んでも、極楽浄土へ間違いなく往生できますから、1年たったということは、大きく浄土に近づいたのですから、めでたいと言えます。
しかし、そうでない人は、後生、死んだ後の行く先が、ハッキリしているでしょうか。後生ハッキリしない、未来の行く先が暗い心を、「後生くらい心」といい、これを「無明の闇」と言われ、すべての人が、どんなに恵まれても、心から喜べない根元は、この「無明の闇」一つだと教えられています。
「従苦入苦 従冥入冥 苦より苦に入り 冥(やみ)より冥に入る」(釈尊)
この世、暗い心のままで死ねば、未来もまた暗い、苦しみの世界へ行かねばならないと、釈尊は仰せです。これでは、「めでたい」とは言っておれません。
これを、生死の一大事とか、後生の一大事と言われます。
この一大事の解決一つが、仏教を聞く目的なのです。
昨年の今頃、「ホリエモンは今年、大成功するわよ」と、ズバリ言ったおばさんがいましたが、その直後、ホリエモンは逮捕、起訴、あれあれ、みごと大ハズレ、でした。
けれども、100パーセント確実な未来である、後生が、みなさん、ハッキリしていますか。この後生暗い心、阿弥陀仏のお力でぶち破っていただき、この世も未来も明らかに救われ、ほんとうにめでたい年に、させていただきたいですね。