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〜管理人が 親鸞学徒の立場で 混迷する世の中に ひとこと物申すコーナーです〜

【2007/03/08 更新】

親鸞会 熊本 全く無になるとは思えない

 どうもよう分からんとです。

「千の風になって」という歌が、はやってますよね。
 私の墓の前で泣かないでください、そこに私はいません、千の風になって、吹き渡っています、という歌です。
 さらに、鳥になって、星になって、光になって、雪になって、と続くのですが、本当に死ねば、そういうものになれるとでしょうか。

 確かに、「死んだ人が、全く無になったとは思えない」という気持ちは、この歌詞によく表れています。また、そう思うことによって、悲しみがいやされた、という人も、確かにあるでしょう。

 けれども、本当に死ねば、そうなれるのか、と問われると、だれしも、ハッキリしないのではないでしょうか。だから、この歌を聴いて、しばらくは心がいやされても、やがてまた、悲しみが込み上げてきますし、「慰霊」といわれるように、亡くなった人を慰めずにおれない心も出てきます。「泣かないでください」と言われても、やっぱり涙を抑えることはできません。

 死んで全く無になるとも思えない、かといって、本当に星や鳥になるのか、これもハッキリしない。結局、私たちは、必ずやってくる問題なのに、死んだらどうなるかハッキリしない、後生に真っ暗がりなのです。これを、仏教では、後生暗い心とか、無明の闇と言われています。

 いくら平均寿命が延びたといいましても、私が死ななくなったのではありません。すべての人の100パーセントの未来が、後生です。
  この歌を縁に、私たちの確実な未来を、まじめに考えてみるきっかけにしたいものですね。

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