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ひとこと言いたい!

〜管理人が 親鸞学徒の立場で 混迷する世の中に ひとこと物申すコーナーです〜

【2007/05/25 更新】

親鸞会 熊本 死はうしろからも、来るものだ

 ほんなこつ、よう分からんとです。エキスポランドの事故。

 なんで、あぎゃん恐ろしかジェットコースターなんかに、お金出してまで乗りたかとですか。

 いや、そりゃ、乗ってもよかですよ。よかばってん、一つ前の運行状況を見とったら、「異常音がした」「いつもと違った」と気がついたとでしょ。
 なら、なんで、そこで乗るのをやめんかったか、と思うとですよ。きびしかごたるばってん、ね。

 より問題なのが管理者側で、その時、運行を中止して、点検しておれば、今回の悲惨な事故は防げたとではなかでしょうか。いや、そもそもの定期点検を怠っていたといいますから、こら、責任は重大ですばい。

 大阪・吹田のエキスポランドにあったのと、同じ「風神雷神2」が、わが地元の三井グリーンランドにもある、ということは、早くから報道されておりました。
「知らんかったけん、乗ったこつあるばい」
と言う人も、少なくなかでしょう。うちの息子も、この前じいちゃんたちに連れて行ってもらったところなので、乗ってきたようです。

 ほかにも、全国各地に、同じ遊具があるということですから、ヒヤリとした人も、多かことでしょう。「恐ろしか、恐ろしか」と言いながらも、喜んで乗っていたことでしょう。

 いずれの場合にもいえることは、「まさか、そんな事故はなかろう」と、皆、油断している、ということです。動かす側も、乗る側も。

「死は前からばかり来るものではない。 死はうしろからも、来るものだ」
とは、吉田兼好法師の言葉です。激しい無常の嵐は、吹き荒れているのに、自分だけは大丈夫、と思って、油断している。だから、「一度は死なねばならない」と、いくら頭で合点していても、実地、死に直面した時の驚きは、とても比較にはなりません。

 ちょうど、動物園のオリの中のトラと、ジャングルで突然出くわしたトラとでは、全く違うようなものです。いや、それ以上でしょう。

 考えてみたら、「オラ、恐ろしかけん、コースターにゃ乗らんばい」とは言ってみても、自動車には毎日乗っとります。バイクや、自転車にも、乗ります。たまにゃ、飛行機にも乗ります。一つ間違えたら、死に直結することからいうたら、同じことです。そして、いつかは必ず、直面しなければならない問題が、死なのです。

「そりゃ、そうだろタイ。どぎゃんしようも、なかろうモン」
という思いも出てきますが、親鸞聖人は、このようにおおせです。

「念仏者は無碍の一道なり」(歎異鈔)

 親鸞聖人の教えを聞き求め、阿弥陀仏の本願に救い摂られたならば、死がきても崩れない、絶対の幸福になることができるのです。
  これを、何ものも碍り(さわり)とならない世界、無碍の一道と親鸞聖人は教えておられます。

「朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり」(蓮如上人「御文章」)

 激しい無常を、身をもって教えてくだされたことを忘れず、一日も早く、無碍の一道に出させていただく機縁とさせていただきたいと思います。

■バックナンバー

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