ひとこと言いたい!
〜管理人が 親鸞学徒の立場で 混迷する世の中に ひとこと物申すコーナーです〜
【2008/4/2 更新】
桜の季節となりました
「桜 三月 散歩道」といえば、井上陽水の名曲ですが、今年も3月には、熊本で桜の開花、これから4月にかけて、桜前線は北上していきます。桜を眺めながら、熊本城を散歩するのもオツなものでしょう。
さて、桜といえば、親鸞聖人が幼くしてご両親を亡くされ、9歳で仏門に入られた時、作られたといわれる御歌があります。
「明日ありと 思うこころの あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは」
青蓮院で、天台座主の慈鎮和尚に、出家得度を願い出られた時、わずか9歳で出家を志す尊さに打たれ、慈鎮和尚は「では、早速明日、得度の式を」と承諾したのでした。
しかし、松若丸(のちの親鸞聖人)は、一首の歌を、示されたのであります。
今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。
人の命は桜の花よりも、はかなきものと聞いております。
どうか、明日といわず、今日、得度していただけないでしょうか。
「そこまでそなたは、無常を感じておられたのか」
深く感じ入った慈鎮和尚は、早速その日のうちに、得度の式をしたのでした。
私たちが、聞法求道する時に、無常観は、とても大切ですね。
親鸞聖人『教行信証』にも、このように仰せです。
呼吸のあいだ、すなわちこれ来生なり。
一たび人身を失いぬれば万劫にもかえらず。
この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。
願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔をのこすことなかれ。
「一息つがざれば次の生である。永久に戻らぬ人生となる。ただ今、人生の目的を達成しなければ、いつするというのであろうか。いつできるというのだろうか。永遠のチャンスは今しかない。刻々と迫る無常を凝視して、決して後悔をのこさぬように」
詳しくは、真宗講座「親鸞聖人 出家得度」をごらんください。