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〜管理人が 親鸞学徒の立場で 混迷する世の中に ひとこと物申すコーナーです〜

【2008/9/5 更新】

大津町の悲劇 さるべき業縁がくれば・・・

親鸞会 熊本 8月11日、単身赴任先の東京から、お盆休みで帰省していた団体職員のSさん(48)が、大津町の自宅で刺殺された事件で、殺人容疑で逮捕された妻のRさん(44)が、
「夫から離婚を切りだされ、将来を悲観した」と述べていることが分かりました。

 Rさんは、以前から交際していた男性のYさん(48)に、「殺害を依頼した」とも供述しています。
 愛し合い、一度は、生涯の愛を誓い合ったのに、どうしてこんなことに、と、事件を聞いた誰しもが、思われたことでしょう。

 Rさんには、借金があったことも分かってきていますから、夫婦関係が冷めたことに加え、金銭問題もあって、犯行に走ったものとみられています。

 なんとヒドイことを、と非難するのはたやすいのですが、しかし一方で、
「そんな恐ろしいことができる人じゃなかった」
「優しい人だったのに」などと、犯行に及んだことを、「意外だ」「考えられない」と語る人も、多いのです。

 もちろん、中には、「そういえば、前からおかしな人だった」「変わった行動を執る人だった」という犯人もありましょうが、そうではない、ごく普通の人が、凶行に走ることも、よくあります。
 想像できるのは、「何か、余程の事情があったのではないか」「どうにもならない状況に追い込まれたからだろう」ということです。

 仏教ではこれを、縁(えん)といわれます。

 仏教の根幹は、因果の道理。結果には必ず原因がある、ということですが、詳しく言えば「因縁果の道理」と言われ、因と縁とがそろってはじめて、結果が起きるのだと教えられています。

 例えば、米という結果には、モミダネという因は不可欠ですが、水や土、日光、温度など、さまざまな要素がそろわなければ、米は収穫できません。
 これら、因を助けて、結果を引き起こすものを、縁といわれます。幾ら、因はあっても、縁がなければ、結果にはなりません。因と縁とが和合してこそ、結果が表れます。

親鸞聖人は、
「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」
とおっしゃったと、『歎異抄』に記されています。
 縁がくれば、どんな恐ろしいことでも、親鸞はやるであろう。ということは、どんな恐ろしいことでも、やってしまうような因(たね)を、親鸞は持っている、とおっしゃっているのです。

 阿弥陀仏の光明に、照らし抜かれ、真実の自己の姿を知らされた聖人の、告白です。

 日々の報道で、残虐な殺人事件などを聞けば背筋の凍る思いがしますが、もし、同じ立場にいたらどうでしょう。果たして、その人たちを、責めることができるでしょうか。
 自己に厳しく問いたださずにおれません。

 有名人のスキャンダルや、かつてない犯罪が起きると、テレビのワイドショーもマスコミも特集を組み、「考えられないこと」「人間のやることか」と大合唱の非難となります。
 もちろん、被害者の心情に立ってのことでしょうが、そんな犯行に走る可能性ゼロの、無謬人間が存在するのだろうか、と危うく思われます。

 心理学者ユングは、
「疑いもなく、つねに人間の中に棲んでいる悪は、量りしれない巨魁なのだ」と言っています。(『現在と未来』)

「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」 『歎異抄』
「あのようなことだけは絶対しないと、言い切れない親鸞である」

 聖人の告白どおり、いかなる振る舞いもする、巨大な悪を潜ませている潜在的残虐者が、私といえるのではないでしょうか。

 

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