浄土真宗親鸞会 熊本県 親鸞聖人の教えを学ぶ集い

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親鸞会 ひとこと言いたい!

〜管理人が 親鸞学徒の立場で 混迷する世の中に ひとこと物申すコーナーです〜

【2009/4/8 更新】

水俣市 環境コンテストで日本一に

 全国の環境市民団体が、地方自治体の環境問題への取り組みを採点する「日本の環境首都コンテスト」で、熊本県水俣市が3年ぶり3度目となる第1位に輝き、3月31日、市内で宮本勝彬市長に表彰状が贈られました。

 かつては、チッソの工場廃液により、大問題が起きた水俣だけに、市民一丸となって、美しい町を作ろうという、ひたむきな努力が、高い評価を得たのでしょう。

 自分さえよければ、周りを汚し、どんな迷惑をかけてもかまわない、という我利我利亡者であっては、なりません。

 かつての公害問題は、そういう企業の姿勢が、如実に表れた災禍でした。
 四日市しかり、新潟しかり、富山神通川流域も、しかりでした。

 周囲の環境が破壊されれば、結局、企業も、そこで生きていけなくなるのです。環境に配慮するままが、めぐりめぐって、自分自身を生かす道でも、あるのですね。

 特に、仏法者は、相手を生かし、己も生きる、自利利他の大道を歩んでいきたいものです。
 高森顕徹先生の著書『光に向かって100の花束』の冒頭を飾る、このお話を、想起せずにおれません。

親鸞会 熊本

(1) この柱も痛かったのよ 〜うるわしき母子〜

 かつて講演にゆく、車中での出来事である。
 ちょうど車内は、空席が多く広々として静かであった。ゆったりとした気持ちで、周囲の座席を独占し、持参した書物を開いた。

  どのくらいの時間が、たったであろうか。
 読書の疲れと、リズミカルな列車の震動に、つい、ウトウトしはじめたころである。

 けたたましい警笛と、鋭い急ブレーキの金属音が、夢心地を破った。
 機関手が踏切で、なにか障害物を発見したらしい。
 相当のショックで、前のめりになったが、あやうく転倒はまぬがれた。

 同時に幼児の、かん高い泣き声がおきる。
 ななめ右前の座席に、幼児を連れた若い母親が乗車していたことに気がついた。
 たぶん子供に、窓ガラスに額をすりつけるようにして、飛んでゆく車窓の風光を、楽しませていたのであろう。
 突然の衝撃に、幼児はその重い頭を強く窓枠にぶつけたようである。
 子供はなおも激しく、泣き叫んでいる。
 けがを案じて立ってはみたが、たいしたこともなさそうなので、ホッとした。

 直後に私は、思わぬほのぼのとした、心あたたまる情景に接して、感動したのである。

 だいぶん痛みもおさまり、泣きやんだ子供の頭をなでながら、若きその母親は、やさしく子供に諭している。

「坊や、どんなにこそ痛かったでしょう。かわいそうに。お母さんがウンとなでてあげましょうね。でもね坊や、坊やも痛かったでしょうが、この柱も痛かったのよ。お母さんと一緒に、この柱もなでてあげようね」

 こっくりこっくりと、うなずいた子供は、母と一緒になって窓枠をなでているではないか。

「坊や痛かったでしょう。かわいそうに。この柱が悪いのよ。柱をたたいてやろうね」
 てっきり、こんな光景を想像していた私は赤面した。

 こんなとき、母子ともども柱を打つことによって、子供の腹だちをしずめ、その場をおさめようとするのが、世のつねであるからである。

 なにか人生の苦しみに出会ったとき、苦しみを与えたと思われる相手を探し出し、その相手を責めることによって己を納得させようとする習慣を、知らず知らずのうちに私たちは、子供に植えつけてはいないだろうか、と反省させられた。

 三つ子の魂、百までとやら、母の子に与える影響ほど絶大なものはない。
 相手の立場を理解しようとせず、己だけを主張する、我利我利亡者の未来は暗黒の地獄である。
 光明輝く浄土に向かう者は、相手も生かし己も生きる、自利利他の大道を進まなければならない。

 うるわしきこの母子に、まことの幸せあれかし≠ニ下車したのであった。

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