浄土真宗親鸞会 熊本

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扉の言葉のバックナンバーです。

◇扉の言葉◇

「小慈小悲もなき身にて
    有情利益はおもうまじ
  如来の願船いまさずは
     苦海をいかでか渡るべき」
 (愚禿悲歎述懐和讃)

 微塵の慈悲も情けもない親鸞に、他人を導き救うなど、 とんでもない。
 弥陀の大悲心あればこそ、人のすべてが救われるのである。

◇扉の言葉◇

「是非しらず
    邪正もわかぬこの身なり
  小慈小悲もなけれども
    名利に人師をこのむなり」
 (慚愧和讃)

是非も正邪もわきまえぬ、上に立つ値などなき身でありながら、師と、かしずかれたい
名誉欲と利益欲しかない親鸞、どこまで狂いきっているのだろう。情けない限りである。

◇扉の言葉◇

「凡・聖・逆・謗、ひとしく廻入すれば、
衆水の海に入りて一味なるがごとし」
 (正信偈)

「他力の信心を獲得(ひとしく廻入)し、人生の目的が完成すれば、万川の水が海に入って一味になるように、才能の有無、健常者・障害者、人種や職業・貧富の違いなどとは関係なく、すべての人が、同じよろこびの世界に共生できるのだよ
人生の目的は万人共通である、と説く親鸞聖人の明白な言葉でしょう。

◇扉の言葉◇

「信心の定まると申すは、摂取にあずかる時にて候なり。
 
その後は、正定聚の位にて、まことに浄土へ生るるまでは候べし」 (末灯鈔)

信心が定まる≠ニは、摂取不捨の幸福を獲得したときだ。
それからは死ぬまで、必ず浄土へ往ける大安心・大満足の、正定聚といわれる身になるのである

◇扉の言葉◇

 「生死の苦海ほとりなし
   ひさしく沈めるわれらをば
  弥陀弘誓の船のみぞ
    乗せて必ず渡しける」
 (高僧和讃)

 果てしない苦しみの海に、永らく沈んでいる私たちを、
 必ず無量光明土(極楽浄土)へ渡してくださるのは、阿弥陀如来の大悲の願船のみである。

◇扉の言葉◇

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば ひとえに親鸞一人が為なりけり
 されば若干の業をもちける身にてありけるを
 助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ」
(歎異抄)

 弥陀が五劫という永い間、熟慮に熟慮を重ねてお誓いなされた本願をよくよく思い知らされれば、全く親鸞一人のためだった。
 こんな量り知れぬ悪業をもった親鸞を、助けんと奮い立ってくだされた本願の、なんと有り難くかたじけないことなのか。

◇扉の言葉◇

「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」(歎異抄)

 縁がくれば、どんな恐ろしいことでもする親鸞だ。
(くわしくは、「ひとこと言いたい」のコラムをご覧ください)

◇扉の言葉◇

「真の知識にあうことは
 難きが中になおかたし
 流転輪廻のきわなきは
 疑情のさわりにしくぞなき」 
(高僧和讃)

 「苦しみの根元は無明の闇である、と説く本当の仏教を教える人には、めったに会うことはできないものである」
 
 法然上人に巡り会えた感激と、苦悩の真因を知った感動を、みずみずしく詠いあげられた親鸞聖人の『和讃』です。
 法然上人との出会いについて、詳しくは、こちらの解説をごらんください。

◇扉の言葉◇

「大命、将に終らんとして悔懼こもごも至る」(大無量寿経)

 釈尊は「臨終に、後悔と恐れが、かわるがわるおこってくる」と説かれています。

 ムダな日々をすごしてきた。求めるものが間違っていた。才能、財産、権力があれば他人はうらやむが、わが身にはよろこびも満足もない。なぜ心の底から満足できる幸せを求めなかったのか。後悔のため息ばかりであるとセネカ(2000年前のローマの思想家)は言っています。

「こんなはずではなかった」と、真っ暗な後生(無明の闇)に驚く、後悔に違いないでしょう。
 飛行機に墜落以上の大事はないように、人生に死ぬ以上の大事はありません。

 生死の一大事とも、後生の一大事ともいわれるゆえんであります。

  詳しくは、「仏教講座『なぜ仏教は人の嫌がる臨終や死のことを多く語るのか』」をごらんください。

◇扉の言葉◇

「念仏者は、無碍の一道なり」(歎異抄)

  29歳の御時、弥陀の誓願に救い摂られた親鸞聖人は、
「一切がさわりにならぬ、素晴らしい世界があるぞ!」と宣言されました。

 全人類の人生究極の目的が、ここに明らかにされたのです。

 くわしくは、
浄土真宗講座 『信心決定したとはどんなことをいうのか』」をご覧ください。

◇扉の言葉◇

「凡・聖・逆・謗 ひとしく廻入すれば
衆水の海に入りて 一味なるがごとし」
(親鸞聖人『正信偈』)

 朝晩、拝読している、『正信偈』のお言葉です。
 
「凡・聖・逆・謗」とは、すべての人のこと。
 他力の信心を獲得し、人生の目的が完成すれば、万川の水が海に入って一味になるように、才能の有無、健常者・障害者、人種や職業・貧富の違いなどとは関係なく、すべての人が、同じよろこびの世界に共生できるのだよと、親鸞聖人は、おっしゃっています。

 万人共通、そして唯一の人生の目的を、親鸞聖人は明らかにされたのです。

 詳しくは、「仏教講座 人生の目的は何か」をどうぞ。

◇扉の言葉◇

「善知識にあうことも 教うることも またかたし
 よく聞くことも かたければ 信ずることも なおかたし」
(親鸞聖人)

 善知識に会うことが難しい、
 不思議としか言いようのない、言葉にかからぬ世界を教えることがまた難しい、
 それを正しく聞くことも難しい、
 信ずることは最も難しい。

 ここに「よく聞くこともかたければ」と言われています。

 正しく聞くということは、大変難しいのです。蓮如上人は、次のように仰せです。(蓮如上人御一代記聞書137)
「一句一言を聴聞するとも、ただ得手に法を聞くなり」

 皆、それぞれの思いで、仏法を聞いていきます。

 だから、
「ただよく聞き、心中の通を同行に会い談合すべきことなり」
 よく聞いて、理解したところをお互い語り合う、信心の沙汰が大切だと、教えられています。
 なるほどそうか、と心におさまり、また聞き誤りも正されるでしょう。

 親鸞会では、聞かせていただいたあと、お互い和やかに語り合っています。


◇扉の言葉◇

「善知識にあうことも 教うることも またかたし
 よく聞くことも かたければ 信ずることも なおかたし」
(親鸞聖人)

 善知識にあうことが難しい、不思議としか言いようのない、言葉にかからぬ世界を教えることがまた難しい、それを正しく聞くことも難しい、信ずることは最も難しい。

 ここに「教えることが難しい」と言われています。

 絶対の幸福、無碍の一道といっても、救われた人には、火に触ったよりもハッキリしたことですが、いまだ体験していない人には、理解することも、想像することもできない世界です。

「不可称 不可説 不可思議の信楽」
「心も言葉も 絶えたれば」
と、親鸞聖人は仰せです。とても言葉で表せない世界、しかし言葉
によらねば、伝えることはできません。

 その困難を乗り越えて、伝えんとしてくだされる、善知識のご苦労は、まさに「不可能への挑戦」といえるでしょう。


◇扉の言葉◇

「善知識にあうことも 教うることも またかたし
 よく聞くことも かたければ 信ずることも なおかたし」
(親鸞聖人)

 善知識にあうことが難しい。
 不思議としか言いようのない、言葉にかからぬ世界を教えることがまた難しい。
 それを正しく聞くことも難しい。
 信ずることは最も難しい。

 ここで「善知識にあうことが難しい」と教えられています。

 正しい仏教を、正しく教えてくだされる方が、善知識ですが、めったにおられないから、「あうことは難しい」と言われるのです。
 親鸞聖人も、9歳で出家なされて29歳まで、当時の仏教の中心地、比叡山で仏道修行に打ち込まれましたが、真実の仏法を説かれる先生には、ついに会えず、泣く泣く山を下りられたのが、29歳の御時でした。

 やがて、明師法然上人に巡り会われ、弥陀の本願に救い摂られたのであります。だからまた親鸞聖人は、
「真の知識にあうことは かたきが中になおかたし」
真の知識(善知識)にお会いする難しさを、教えてくだされているのです。


◇扉の言葉◇

「善知識にあうことも 教うることも またかたし
 よく聞くことも かたければ 信ずることも なおかたし」
(親鸞聖人)

 善知識にあうことが難しい、
 不思議としか言いようのない、言葉にかからぬ世界を教えることがまた難しい、
 それを正しく聞くことも難しい、
 信ずることは最も難しい。

 ここで「よく聞くこともかたければ」と教えられています。
 あい難き善知識にお会いできても、よく聞く、正しく聞く、ということは、大変難しいのです。

 そこで、蓮如上人は、
「我が信心は、人の信心は、如何があるらん、という信心の沙汰をせよ」
と教えられています。
 親鸞聖人のみ教えを、私はこう聞かせていただいた、私はこんな気持ちで求めている、と、お互いの信仰を大いに語り合う。
 それを通して、思わぬ聞き誤りが正されたり、今まで疑問だったことが、なるほどそうかと深く知らされる。
  そういう「信心の沙汰」が大切なのです。


◇扉の言葉◇

「山も山 道も昔に 変わらねど
  変わり果てたる 我が心かな」
(弁円、のちの明法房)

  関東に一大勢力を誇っていた山伏の弁円でしたが、親鸞聖人が、弥陀の本願を教えられると、弟子も信者も、次々と親鸞聖人の元へ参集しました。
  何度も聖人殺害を謀るも、ことごとく失敗し、ついに怒り狂った弁円は、白昼、剣を抜いて、聖人の館へ押しかけたのです。
  ところが、数珠一連を持たれた聖人の、慈悲温厚のご尊顔を拝し、「ああ、我あやまてり」と己の大罪を号泣懺悔し、剣を投げ捨てた弁円は、やがて、聖人のお弟子となり、明法房と生まれ変わったのでした。
  後日、かつて、聖人のお命を狙っていた板敷山を通りかかった時、変わり果てた己の心を知らされ、詠んだ歌だといわれています。


◇扉の言葉◇

「今日ほめて 明日悪くいう 人の口
  泣くも笑うも ウソの世の中」
(一休)

 自分に都合のよい時は「善い人」、都合が悪くなれば「悪い人」という。
 己の時々の都合で他人を裁き、評価しているのではないでしょうか。
 人間の価値判断は、いかにいい加減なものか、と、一休も笑っています。


◇扉の言葉◇

『会者定離 ありとはかねて ききしかど
 昨日今日とは 思わざりけり』
(親鸞聖人)

35歳の御時、仏教の結論である「一向専念無量寿仏」を余りにも強く叫ばれたために、時の権力者の怒りにふれ、親鸞聖人は新潟県(越後)に流刑となられました。

また、法然上人も、四国の土佐へ流刑となられたのです。

「会者定離」出会ったならば、いつか必ず別れねばならないのが世の常とは言いながら、恩師・法然上人と生木を引き裂かれるように別れさせられた悲痛なお気持ちを詠まれた、親鸞聖人のお歌と伝えられています。


◇扉の言葉◇

『明日ありと 思う心の あだ桜
  夜半に嵐の 吹かぬものかは』
(親鸞聖人)

「今を盛りと咲く花も 一陣の嵐で 散ってしまう。
  人の命は 桜の花よりも はかなきもの。
  どうか 明日と言わず 今日得度していただきたい」

  4歳で父君に、8歳で母君に死別されたといわれる親鸞聖人が、次はオレの番だと死の影に驚き、出家の時に詠まれたものと、いわれています。


◇扉の言葉◇

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、よろずのこと 皆もって
 そらごと・たわごと・真実あること無きに、
  ただ念仏のみぞ まことにて在します」
  (歎異鈔)

「いつ何が起きるか分からない、火宅無常の世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべてのことは、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。
 ただ念仏のみがまことなのだ」

 親鸞聖人の断言であります。

 一寸先は闇。朝に紅顔あって夕に白骨となる無常のわが身です。
 次の瞬間、どうなるか分かりません。

「念仏のみぞまこと」とは、「本願のみぞまこと」のこと。
 そらごと、たわごとだらけの世にあって、親鸞聖人は、弥陀の本願だけが真実だと断言しておられます。
「死後のハッキリしない無明の闇を破り、極楽浄土へ必ず往ける大満足の身にしてみせる」

 この「弥陀の本願」のみぞまこと、と知らされ、いつ死んでも必ず浄土へ往ける大満足の身になった人こそ、無上の幸せ者ではないでしょうか。

 

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