ひとこと言いたい!
〜管理人が 親鸞学徒の立場で 混迷する世の中に ひとこと物申すコーナーです〜
【2007/08/29 更新】
やりたいことを、やればいい?
ほんなこつ、よう分からんとです。愛知県3人組の、強盗殺人です。
見ず知らずの3人が、ネットを通じて知り合い、直ちに犯行に及んだというのも不気味ですし、そういう犯罪を語り合い、仲間を呼び合うためのサイトが多数存在しているのも、そら恐ろしかことです。
「金に困ったから、やった」
「顔を見られたから、殺した」
「死刑になりたくなかったから、自首した」
犯人の言い分は、すべて「やりたかったから、やった」というもの。
あれがしたか、これがしたか、仏教では「貪欲(とんよく)」と言われている心です。
金が欲しか、物が欲しか、褒められたか、認められたか、もっともっとという限りない欲に私たちは、どれだけ恐ろしいことば思い続けていることでしょう。
あいつがおらんなら、こいつがおらんなら、あの人が失敗したら、この人が死ねばと、どれだけの人を、心で蹴落とし殺していることでしょうか。
親であれ兄弟であれ、子供であれ恩人であれ、自分の欲のためには、どぎゃん恐ろしかことでも考えます。
遺産相続で、兄弟や親戚同士、骨肉相はむ争いは、この欲の心が引き起こす惨劇です。
この欲が邪魔されると、腹が立ちますし、腹を立ててもどぎゃんもならん相手には、ねたみ、そねみ、恨みの心が出てきます。これらを愚痴と言われます。
この欲、怒り、愚痴の三つを、三毒の煩悩と、いわれます。煩悩は、私たちに108あるといわれ、除夜の鐘を108つくのは、この煩悩の数からきています。
108の煩悩の中でも、恐ろしい毒を持った三つを、三毒の煩悩といわれるとです。
「『凡夫』というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、いかり腹だち、そねみねたむ心多くひまなくして、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず」(親鸞聖人)
仏教で、人間のことを凡夫といいますが、欲や怒りの煩悩が、死ぬまでなくならないのが、人間である、と親鸞聖人は教えられています。
よく「自分の本当にやりたいことをやればいいんだよ」「自分の心に、正直に生きるのがよいことだ」という声を聞きます。
ですが、仏教で、自分の本当の姿を教えていただくと、なんでんかんでん、心のままにすればよか、とは言っておれません。
厳粛な因果の道理にしたがって、まいたタネは、必ず生えますし、まかぬタネは、決して生えません。
私たちの運命は、各自のまいたタネ(行為)によって決まるのです。
この大宇宙の真理を知らされたならば、悪を恐れ、善に向かう、廃悪修善に心がけ、光に向かって進ませていただきたいものです。
詳しいことは、「学びの広場」にて、どうぞ。