親鸞会熊本 ひとこと言いたい!
〜管理人が 親鸞学徒の立場で 混迷する世の中に ひとこと物申すコーナーです〜
【2009/1/13 更新】
ウシ年に思う
平成21年の幕が開きました。
今年は、ウシ年、肥後の赤牛は、馬刺しと並んで、いまや全国ブランドですが、牛といえば、忘れ
られない、こんなお話があります。
人通りの少ない山道を、大きい牛を引いて、わが家へ急いでいる一人の農夫がありました。
牛は彼の最も大切な財産らしく、振り返り振り返り、いたわりながら、日暮れの道を急いでいます。
やがて、農夫の後ろに二人の怪しげな男が現れ、一人が仲間にささやきました。
「おい、あの牛を、すり取ってみせようか」
「おまえがなんぼスリの名人でも、あんな大きな牛じゃねー」
相棒は首をかしげました。
「よし、それではやってみせるぞ。おれの腕まえを見ていろ」
二人はスリが本職だったのです。
牛をすってみせると言った男は早足で、グングン歩きはじめ、牛を追い越し、曲がり角の小さな地蔵堂の所で姿を消します。
農夫は薄暗い地蔵堂の角に、何か落ちているのを見つけました。
拾ってみると、新品の皮靴の片方ではありませんか。
「せっかくの、すごい拾い物だが、片方じゃ使い物にならんわい」
ぶつぶつ悔やみごとを言いながら、靴を投げ捨て、しばらく行くと、また何かが落ちています。
拾ってみると、先ほど捨ててきた相手の靴ではありませんか。
先のと合わせると、新品の靴一足になる。
農夫は、しめたと思ったのでした。
「だれも通らぬ山道だ。まだあるに違いない」
牛を道端の木にくくりつけ、飛ぶように引き返すと、案の定、靴はありました。
「今日は、何と運のよい日だろう。こんな立派な靴が、ただで手に入るとは……」
得意満面、喜び勇んで帰ってみると、農夫の最も大事な牛の、影も形も見当たらなかったのでした。
目先の欲に心を奪われて、最も大切なものを失う人の、いかに多いことでしょうか。
年の初めにあたり、ほんとうに大切なものは何か、見つめ直す機縁としたいものです。