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ひとこと言いたい!

〜管理人が 親鸞学徒の立場で 混迷する世の中に ひとこと物申すコーナーです〜

【2007/04/24 更新】

親鸞会 熊本 飛び立った飛行機の、行き先

 ほんなこつ、よう分からんとです。いつ、どこで、どんな災難に遭うものやら。

 ボンバルディア社の飛行機が、高知空港で車輪が出ずに胴体着陸ばしました。そのすぐあとです。天草発、熊本空港行きの便では車輪が出なかったので、緊急措置で、手動によって車輪を出してようやく着陸できたとです。

 ところが、ここの飛行機は、その後も、エンジントラブルを起こして火を吹くやら、何かと世間を騒がせています。

 そして、天草空港には、今もそのボンバル社の飛行機が飛んでおるとですヨ!ああ、恐ろしか。

 飛び立った飛行機ならば、やがて必ず降りにゃならんとです。それがもし、安全に着陸できんとしたら、こぎゃん恐ろしかことはなかですバイ。

 ところが考えてみれば、人間は、生まれた時が、飛行場を飛び立った飛行機のようなものではなかでしょうか。20歳の人は20年前に、60歳の人は60年前に、離陸したのです。

 飛び立ったからには、やがていつかは降りなければならんとですが、さて、降りるところはハッキリしとるでしょうか。

 ところが、です。私たちは死ねばどうなるか、全く知りません。ハッキリしていません。しかも、

「門松は 冥土の旅の 一里塚」(一休)

その真っ暗な後生(冥土)へ、刻一刻と近づいているのが、人生ではなかでしょうか。1日生きたら1日、死に近づいとるとですし、1年生きたら1年、大きく後生に近づいとるとです。

 見渡す限り海また海、降りる所が見当たらない。燃料計はゼロに近づいていく……。墜落という悲劇に向かっている飛行機の中で、どぎゃんおいしか機内食が出たっちゃ、面白か映画が上映されたっちゃ、美しか景色ば眺めたっちゃ、なーんも心からの喜びにはならんでしょう。

 人生においても、どうですか。

 よか学校に入学した、よか人と結婚できた、かわいか子の生まれた、立派な家ば新築した、めでたく賞に輝いたなどなど、確かにうれしかことじゃあります。

 ばってん、なぜか心からは喜べん。その喜びも、続かんとです。それらは、ちょうどこの、墜落に向かう飛行機の中での出来事と同じなのです。

 飛行機ならば、いちばん急がにゃならんことは、安全に着陸できる空港を確保することでしょう。人生でいえば、後生暗い心=無明の闇をブチ破って、後生明るい心になることであると、親鸞さまは教えていかれました。

「無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり」(親鸞聖人)

 無碍の光明=阿弥陀仏の本願力は、苦悩の根元である無明の闇を、一念で照破くだされる、智慧の太陽である、と仰せです。
 弥陀の心光で、無明の闇が照破されると、「往生一定」の身となり、いつ死んでも極楽往き間違いなしの絶対の幸福に、この世からなれるとです。

 これこそ、人間に生まれてきた目的でありますから、「人間に生まれてきてよかった!」という生命の大歓喜が、その時、体験させられます。

 無事、目的地の空港に着陸してこそ、「飛んできてよかった」の満足があるように、生きる目的を達成してこそ、苦しくとも、生きてきてよかった、この身になるためだったとか!
「人身受け難し 今すでに受く」(釈尊)
の大歓喜が味わえるとです。

親鸞さまの教え、聞かせていただきましょう。

■バックナンバー

 >>火宅無常の世界(平成19年3月28日)
 >>全く無になるとは思えない(平成19年3月8日)
 >>ホントは怖い「春一番」(平成19年2月16日)
 >>菩薩と仏、違いを知っていますか?(平成19年1月27日)
 >>門松は、冥土の旅の一里塚(平成19年1月10日)

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